瞑眩の続き

孟子の解説書を読んでいたときに下記のような文章が。

前回、瞑眩(めんげん)は吉益東堂が語源と書きましたが、孟子が語源でした。

ただ、この文章を読むと「四の五の言わずに、始めてみよ」という教えで、副作用という意味で使っていないと感じます。

 

この言葉から派生して、吉益東堂が日本流に使い始めたのかもしれません。

 

トウの文公がまだ太子だった頃、楚を訪れる途中、宋に滞在していた孟子を訪ねて教えを請うた。孟子は「人の本質は善である」と主張し、堯舜の道にならうよう繰り返しといた。

 

文公は、楚からの帰途、再び孟子に会いに行った。孟子は言った。

「あなたは、ためらうのですか。太子よ、道というものは一つしかないのです。」

 

成覵(せいけん)は、斉の景公にこう言いました。

「かれ(聖賢のこと)も男、私も男、何で恐れる事があろうか」

 

また、顔淵(孔子の弟子)も言っています。

「舜も人間、私も人間、なんの違いがあるものか。意欲さえあれば、舜と同じになれるのだ」

 

公明儀も言ったではありませんか。

「わたしは、文王を師と仰ぎ、周公の言葉を信じて疑わぬ」

 

太子よ。あなたの国は、五十里四方はありましょう。立派な国を作るのに、十分な条件が備わっています。なにをためらうのですか。「書経」にもありましょう。「書曰、若薬不瞑眩、厥疾不瘳(もし、瞑眩せずんば、その病は癒えぬと)」

中国の思想 徳間書店 孟子 より P132

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この記事を書いた人

漢方を専門に学ぶ薬剤師。大学卒業後、東京・高知の漢方薬局にて漢方を研鑽。漢方薬局の二代目として大阪に戻る。このサイトでは、身近な漢方であるようにと「分かりやすい言葉」で説明するように心がけています。

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